不足と余白≧スマート
私の子ども時代は、今よりもはるかに複数世代の同居率が高く、
両親が共働きでも、祖父母やその他の大人がいました。
つまり、かんたんに遊べる友達の家、場所が見つかる時代でした。
ほぼ毎日、友達の家に行っていたような気がします。
そのきっかけは、6歳くらいのとき、
4つ上の兄の友達の家に付いていったことでした。
保育園の年長さんにとって、小学校4年生はものすごく大人で、
自分にはない世界観に触れられるので、ドキドキワクワクしていました。
それ以来、とにかく人の家に遊びにいくことやその道程が好きでした。
近所の友達と合流し、数㎞先の友達の家を目指して、
夏は自転車、自転車が使えない冬はギシギシと雪道を踏みしめて歩きました。
100円以内でビックリマンチョコや、メンコちゃんゼリーを買う楽しさ、
猛犬回避のための回り道、
換気扇から流れてくる匂いから、よそのお宅の夕食予想、
通り抜ける空気から季節の変化を感じつつ・・・。
五感が刺激されていた思い出がよみがえります。
テレビゲームも隆盛期を迎え、もれなく私も
ドラゴンクエストやファイナルファンタジーのとりこになっていました。
友達の家に5、6人が集まり、ダンジョンをクリアしたり、
ラスボスを倒したりと。
1台のテレビゲーム、1台の14型テレビで楽しく遊べたものです。
リアルもバーチャルも、
小さな冒険と全てが揃っていない余白が楽しかったのだと思います。
今は、当時と比べることができないくらい便利な世の中になってきていますが、
回り道をすること、休むこと、遊ぶこと、揃っていないこと、
あえてスマートでないことも本人が必要性を感じているのなら、
そこに意味が生まれるような気がします。
最近、弘前と上越の往復時は、「水曜どうでしょう」のDVDが手放せません。
サイコロの旅は、無駄な時間、無駄な移動をするけれど、
大泉洋さんやミスターが不平を言いつつも
楽しむことが視聴者の共感を得ている気がします。
久しぶりに聴いた「水どう」のテーマソングの「1/6の夢旅人」の歌詞も響きました。
♪一人きりではできないけれど タフな笑顔の仲間となら乗り切れる
【追記】
旅好きな私は、出川さんの原付充電旅、火野さんの自転車旅など、
ゆったりと移動するスタイルにも魅力を感じてしまいます。