MY TEACHER ACADEMIA ~KUBOのティーチャーアカデミア~

教職大学院修了ホヤホヤの小学校教員21年目。過去から今、そして未来に向けて感じていること、思っていること、学んでいることを徒然なるままに綴るブログです。

『学び合い』について再考①


連休中に現場の先輩方と、かなり久しぶりに旧交を温める機会がありました。

各方面、様々な立場でご活躍されている3名の先生方です。

 

自分が現職派遣されている上越教育大学教職大学院の西川純先生の書籍を紹介し、お土産に持っていってもらいました。

(西川先生率いる西川研究室では、最先端のアクティブ・ラーニングである『学び合い』の考え方・授業を基に、子どもたちのより良い人間関係の構築、社会に出てからも通用する能力であるコミュニケーション能力の育成を通した「一人も見捨てない教育・社会の実現」を目指しています。)

 

ちなみにお貸しした本は以下の3つです。

 

 

すると先日。ありがたいことに早速読んでくださった先生から、「読んだよ!質問!」とリアクションをいただきました。

西川先生は、書を読み、自分で考え、人と対話する重要性を常々言われていますので、これを機に自分の『学び合い』観を深めてみようと思い、お返事をまとめてみました。

ついつい筆が進み、長文になってしまいましたが…。

自分の備忘録としても、ブログに数回に分けてアップしていきたいと思います。

 

〇〇 〇〇様へ

(1)教師の意図を汲む子の負担が大きいのでは?

→「2割」を動かす(キャズム理論・イノベーター理論・パレートの法則

どんなクラスにも教師の理念やねらい、語りの内容が伝わる子が「2割」います。『学び合い』では、その「2割」を動かします。

今、私は教師1人が40人いたら40人に1つのことを本当に分からせようとするのは、無理ゲーに近いと思っています。それよりも集団の力を使った方が、はるかに効果があると思います。

教師が何かを語るときや伝えるときには、「全員、手はお膝、背中ピン、足ピタ」ということに、若干、無理があると思うようになりました。(私たち大人もそうです。聞いているようで聞いていない人が結構いると思います。)

逆にどんなに姿勢が悪くても、どんな集団でも「2割」は聞いています。授業も同様で、どれだけ教材研究しても、私1人の教え方がフィットするのは、多くても「2割」くらいだろうと割り切れるようになりました。

姿勢が悪くても、全然、気にならないようになっています。聞いていなかった子も本当に必要とあれば、近くの聞けそうな人に聞くだろうと思うからです。私たち大人が職員室や職場でするように。

システム作りもよいのですが、教師が与えすぎると、その教師の手を離れたときに、機能不全を起こす集団もあると思うので、できるだけ何事も集団に考えさせ、行動させたいと思います。

どんな子も「2割」の子になれる
授業では、算数が得意な子が体育も得意とは限りません。また同じ教科でも内容によって、得意な子が変わります。さまざまな授業内容に応じて、さまざまな子が「2割の子」になる可能性を秘めています。その2割が教師の語る『学び合い』の有用性を行動で伝えていく存在となります。

 

(2)同じ子が負担を感じないだろうか。
→より多様で多数の集団による『学び合い』へ

いつも、同じ子が負担を感じるとしたら、もしかすると母体が小さい集団ということが原因の一つと考えられます。そこで、昨年度、所属校では、全校児童による『学び合い』を実施しました。3学期はコロナのために制限がかかりましたが、連休明けから再開予定です。

 

私たち教職員も異年齢集団で、それぞれ得意も不得意な分野もあります。受け持っている課題や校務もバラバラです。

でも、風通しが良い職員集団なら、集団で課題を解決ができます。学校にいる子どもたちも、そこに近付けていくイメージです。

大人が仕事を通したコミュニケーションで他者を理解していくのと同様に、子どもは学習を通したコミュニケーションでつながりを築いていきます。荒れたクラスも中・長期期的に変化します。

 

 

ここまでで5分の1くらいかなあ(笑)

 

とりあえず、最後まで読んでくださった方、ありがとうございます<(_ _)>

 

つづく。