MY TEACHER ACADEMIA ~KUBOのティーチャーアカデミア~

教職大学院修了ホヤホヤの小学校教員21年目。過去から今、そして未来に向けて感じていること、思っていること、学んでいることを徒然なるままに綴るブログです。

『学び合い』について再考③


上越教育大学 西川純教授の『学び合い』の書籍を読んだ先輩の質問への返答を再編集して記録しています。今日で完結です!

 

(4)空白の時間はどうするか。
→『学び合い』になれてきたら、単元まるごと、子どもたちに任せます。
 最近、よく目にする「自由進度学習」のイメージに近いかもしれません。単元計画を子どもたちに任せます。

 子どもたちの『学び合い』の結果を視覚的に示すにはテストの結果です。結果が、普段の『学び合い』の様子を物語るからです。

 点数が低かった場合。子どもたちに、授業中に「わかったふり」や「教えたふり」をしていたことに気付かせます。

 また、単元の始めにクラス全員が90点以上を取るというミッションを設定したとします。そのミッションをクリアするために、明日の授業の全員達成のために予習するのもよし。似たような問題を作り合って出し合うのもよし。宿題をしていてもよし。(ただし、友達に聞かれたら答えようと言います)

 昼休みに再テストなどのペナルティなんかはありません。(こっちもコーヒータイムなんだぞと伝えています。)

 みんなで達成するのが楽しいといった文化が生まれてくると素敵ですね。勉強でさえも、楽しいとなったら、毎日、最高です。
 私は、そんな感じでした。宿題も不必要と考えていましたが、足並みをそろえるために出していました。ただ、学校にいるうちに終わらせてもOKで、家に帰ったら、好きなことをしようよと言っていました。(あ、勉強したい子はどんどんしていいよと言っていました) 

 確実にテストの結果は上がります。毎時間、自分がフィットする相手を選んで問題を解くので、理解度が高まるからです。

 正直、今まで私1人で教材研究していたのはなんだったのかと思いましたが、そんなもんかと切り換えました。教師1人の力に比べて子ども集団の力は圧倒的です。(だからこそ、学級崩壊のようなことも起こり得るのですが…。)
 

(5)荒れたクラスで実践可能か。
→もちろんです。荒れたクラスこそ変わります。
 どんな集団にも教師の思いを受け止める「2割」の子がいます。むしろ、やりやすいクラスで『学び合い』が成功しても「あのクラスだからできたんでしょ」と言われてしまいます。(笑)
 手のかかる子どもたちは、イライラしていませんか。そしてイライラの理由は、教師の手立てが多すぎるからかもしれません。
 『学び合い』では、子どもはイライラしません。「静かにしなさい、座りなさい。黙りなさい!」と言うのと「相談してもいいよ。立ち歩いていいよ。何を使ってもいい!でも、全員達成しよう!」というのは、どちらがたやすいでしょう。
 

→異学年『学び合い』をおススメします。(できれば異なる3つの学年以上)
 荒れている学年の子は教師に反発している可能性が高いです。ですが年長者や年少者と学び合うことで、先輩には素直に従ったり、後輩に優しい面を見せたりします。また、その時間に複数の教師が時間を共有しながら、情報交換や子ども観察ができたり、簡単な打合せができたりするので、働き方改革にもつながります。

 1人の教員が100人を超える集団と『学び合い』の授業を進めることもできるので、昨今、話題の教師不足にも一役買いそうです。

 

→公教育のこれからと生き残る教師
 日本の教師は、真面目で責任感ある方が大半だと思います。ただ、今までの文化や慣習、価値観を過剰に大切にしすぎたり、明治維新以後、約150年変わらない一斉授業だったりは、速すぎる時代の変化に追い付いていないかもしれません。

 公教育のサービス対象は児童生徒と保護者です。その児童生徒と保護者が今の公教育に見切りをつける時代は意外と近いのではないかとも言っています。(西川先生は早くて5年と言っています。公立高校も定員割れが目立ち始めてきます。)

 ここも「2割」が見切りをつければ、一気にパンデミックが起こるだろうと予想しています。

 そんな時代の転換時に生き残れるのは、『学び合い』のようなアクティブ・ラーニングを実践できる教師だと思います。だから多忙な教職員に無理のない程度のアップデートや公教育の転換に備えるためにも『学び合い』を広げることに意味はあると考えています。今後、数十年にわたって日本の教育を担う若手には、特に。

 

 

 最後の最後までお読みいただき、ありがとうございました<(_ _)>

 

 子ども集団を有能だと腹から思うことが出来れば、個別最適・協働的な学びは実現します。

 そして、このような学び方で育った子どもたちが大人になることは、とても魅力的だと感じます。わくわくします。