地域コミュニティの核
今日は息子が通う小学校のスポーツ集会でした。(前身:運動会)
コロナの煽りを受けていた学校行事が少し形を変えながらも復活してきているなあと感じました。
プログラムはシンプルに。それでいて子どもたちのハッスルは十二分に伝わってきました。
ふと、グラウンドを見渡すと世代も職業も異なるさまざまなパーソナリティを持った人たちがいます。
私も保護者仲間やかつての同級生や先輩・後輩と会話や挨拶を交わしました。
あらためて学校には、たくさんの人を集める力があると感じました。
平日にも関わらず、多くの方が学校に集まってきていました。やはり子を思う気持ちがあるからでしょう。
ただ、地域の教育をサステナブルな視点で見ると、自分の学級や自分んちの子だけ考えればよいでは不十分。
地域コミュニティが子どもたちや保護者まで包括し、育った子ども集団が大人になり、また次の子ども世代を育てるというサイクルがやはり必要かなと思います。
子どもたちの成長を願う教員と一緒に進める全校『学び合い』は、子どもだけでなく教員同士のコミュニケーションも活発になります。
この『学び合い』に保護者や地域もつなげていきたい。
コミュニティ・スクール等も地域の協働を進めていますが、手っ取り早く、さまざまな立場や世代の大人を呼び込めると考えるからです。
そうすることで、学校が異世代の大人同士が語り合う場、情報交換する場、子どもたちの活躍や成長を共に喜ぶ場として、いいな、必要だなと思うことができていたら、今後も、学校は地域の欠かせない存在になり続けると思います。
時は令和。地域で育てるといっても、名物的カミナリ親父が叱ってくれるようなのは、ちょっと難しいかもしれません。
学校を通した繋がり方の変化も念頭に、じわりじわりと歩みを進めたい。
追憶や願望で終わらせないように。