「足るを知る」ための伏線
今日は上越教育大学院のゼミでした。
西川教授に「足るを知ること」「天才は、足るを知るのか」という質問をし、以下のように答えていただきました。
イチロー選手はボールの打ち方を説明できるというが、本当の天才は説明できない。打ててしまう。
つまり、あのイチロー選手でさえも努力を積み重ねたわけだ。
私は制度設計に関しては天才的なところがあるが、(それ以外は)40年、欲求に優先度を決めて自分を制限し、マシーンとなって努力してきたところがある。
そして「足らないとき」の苦痛をよーーーく知っているから、今の「足ること」に満足している。
数々の業績の嬉しさは半年もてばいいけど、家族との幸せは毎日毎日、味わえる。
大体、こんな感じで答えていただきました。
(聞いているうちに、自分の過去がフィードバックしてしまい、メモし忘れる)
うちの息子は小さいころ大手術をしています。
当時は私も若く、小さな息子に与えらた業や試練を思い、世を呪いました。
だからこそ、今の健康がありがたい。
あのときの親としての苦痛。
それは、独りよがりで、当たり前の幸せを自覚できない「足ることを知らない私」が当たり前の大切さを知るために与えられた伏線だったのかもしれません。
とはいえ、今日と言う日が明日も続くとは限りません。
だから、当たり前のようにある今日の幸せを明日にも願います。
当たり前の大切さを忘れず、小さな積み重ねを続けること。
「足るを知る者は富み、強めて(つとめて)行う者は志有り」
(満足することを知る者は心豊かであり、努力を続ける者にはすでに志がある)
不惑の齢四十を過ぎてなお、生き方を学んでいるゼミです。