MY TEACHER ACADEMIA ~KUBOのティーチャーアカデミア~

教職大学院修了ホヤホヤの小学校教員21年目。過去から今、そして未来に向けて感じていること、思っていること、学んでいることを徒然なるままに綴るブログです。

他者の靴を履く

今ほど、ブレイディみかこさんの「他者の靴を履く」を読み終えました。

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」に登場したエンパシーという言葉が特別なインパクトを与えたことがきっかけとなり、「誰かの靴を履く=エンパシー」について掘り下げていった本です。なかなか重厚な本でした。

(エンパシーは、大学院の講義でもテーマに上がったことがありました。)

さて、エンパシーとは、他者の感情や経験などを理解する「能力」とのことです。

シンパシーは、可愛そう!とか共鳴する相手に対する心の動きや理解、それに基づく行動ですが、これとはちょっと異なります。

別に、可愛そうだとも思わない相手や必ずしも同じ意見や考えを持っていない相手に対して、その人の立場だったら、自分はどうだろうと想像してみる知的作業を指します。

 

僕的に面白い例を見つけました。

「利他的になれば利己的になる」(コロナ禍のパニック買いを例に)

・殺菌洗浄ジェルが必要だとメディアで伝え始める。スーパーや薬局で売り切れる。(適切に「石鹸」で洗えばいいのに。わが身可愛さでパニック買い)

・1,2週間後、トイレットペーパーが売り切れる。(同じくパニック買い)

・しかし、除菌ジェルにしてもトイレットペーパーにしてもウイルスを食い止めたいのであれば、大量買いして家の戸棚に眠らせておくより、世間の人に使ってもらったほうがいい。公衆衛生が劣化することによって、いよいよ感染症が蔓延する環境を作ることになってしまう。

 

つまり、感染症のようなコミュニティ全体が改善されない病気では、自らのミクロな行動がマクロにどういう影響を与えるかという想像力がないと、結局はミクロな不幸(感染症にかかって重篤化してしまうなど)がダイレクトに自分の身に降りかかるので、自分以外の人々のことを慮って行動した方が、結果的には自らのためになる。

 

他にも、わが日本では、自分のために貯金額を増やし、経済活動が縮小・景気後退し、コミュニティ全体が貧しくなるといったことを体現しちゃっています。

 

どうしても、目の前のことや身内に関することは、利己的になりがちです。しかし、自分や自分に関わる身近な人を大事に思うのであれば、そこを包括する「何か」にもエンパシーという想像力を発揮していくことが大切なのかもしれないと気付かされました。