内なる思いは対話を通してより明確に
教職大学院の院生には、ストレート院生(学部卒)と現職院生がいます。
若いストレート院生さんたちも、入学年度が早ければ、もちろん先輩です。入学時には、若者たちから、大学のこと、研究室のこと、SNSのこと、教授陣のこと、講義のこと、町のこと、読んだらいい本のこと…。たくさん教えてもらいました。彼ら・彼女らは若さだけでも十分魅力的です。でも、自分がこの年齢のときと比較にならないほどの思考や哲学、行動力があって尊敬してしまいます。
現職院生さんも、大体、自分より若いですが、それぞれのフィールドで積み重ねてきた実践経験や問いをもって進学してきているので、これまた尊敬しています。
面白いのが、同じ研究室にいても『学び合い』を深めたい人、教科と絡めたい人、金融教育をしたい人、働き方について考えたい人、学校と社会の接続を考えたい人・・・と各々、向き合っていくジャンルが細分化されていきます。
つまり、人は集団の中、対話をしたり、問答をしたりしているうちに、自分のやりたいベクトルがはっきりとしてくるのではないかと思います。私も世代の異なる院生との対話の中で「あ、やっぱり、これだ」と思うことが何度もありました。
自分の内からあふれ出てくるような思い・問いを追究する。学びたいものを学ぶって、大人も子どもも面白いですよね。
だから、子どもが所属する集団が異年齢だったり、多様だったりしたら、もっと面白い方向性が見えるような気がします。
そもそも社会自体が異年齢で多様。同い年で輪切りの学級集団より可能性が拡がるんじゃないかと思うのです。