友だち幻想 人と人の〈つながり〉を考える
「友だち幻想 人と人の〈つながり〉を考える」
今の時代を生きる子供同士のつながり方や関係性の築き方などの世界観を把握できる内容でした。
自分の教員としての立ち位置を確認する意味でも読んでおいてよかったなあと思います。
読書メモです。
同質的共存の根拠だったムラに学校が1つだった時代ではない
むしろ人と人の距離感を丁寧に見つめ直したり、気の合わない人とも一緒に何かをする際の作法もきちんと考えさせた方がいい。
同質性から並存性へ
私たちの多くは「1年生になったら」の歌詞で「友だち100人できるかな」を刷り込まれている。「みんな仲良く、いつも心を触れ合い、みんなで一つに」というのは、「幻想」で、そこから解放されるべき。むしろ、この幻想が子どもを追い詰めているかもしれない。
愛せない場合は通り過ぎよ(ニーチェ)
無理に近づきすぎて、傷つけあうよりも、適度な距離をとる。同質性の高い集団の中で、個性を放つとルサンチマン(憎悪、ねたみ)の対象となってしまうこともある。濃密な関係を求めすぎないほうが大人や教師としての心得として大事ではないか。
ルールは最大限の自由のためにある
どんな社会でも共通して大事に考えられているのが、「盗むな、殺すな」という原則。
自分の気分次第で、勝手に人を殺していいとなると、今度はいつ自分が殺されるかわからないことになる。「殺すな」は、結局自分が安全に生き延びるという生命の自己保存のためのルール。別に世のため、人のためのルールと考える必要はない。
「よほどのことがない限り、むやみに危害を加えたりせず、私的なテリトリーや財産は尊重し合いましょう、お互いのためにね」という契約を結んでいる。誰かをいじめるということは、今度はいつ自分がやられるかわからないというリスキーな状況を自分自身でつくっていることになる。
先生は生徒の記憶に残らなくてもいい
先生が生徒の記憶に残ろうとしすぎると、過剰な精神的関与や自分の信念の押し付けに走ってしまう恐れがある。生徒たちに通り過ぎられる存在であるくらいでちょうどいい。
学園ドラマの先生のようなことをすると、生徒の内面を無理やりいじることになり、それはとても危険なこと。
担任になったとしても1年か2年。一生関われるわけではない。先生は、自分が帯びてしまう影響力の大きさと影響力の責任の限界を見据えるクールな意識をもつこと。
あくまで、自分と他者は違う存在です。家族でさえも。
「わたしたち、一心同体だよね~」とか、「あなたとわたしは離れていても心は一つ」
水を差すようですが、これこそ幻想なのでしょう。むしろ、相手を道具として見ていない危険性もあるかもしれません。(行き過ぎるとストーカー、メンヘラなどかしら)
教師も、ふと立ち止まり、子供たちに同調圧力をかけていないかということは自問自答しなければならないと思いました。
わが子も含めて、子供たちには「他者は自分とは違う」ことを意識することで、はじめて関係性を深めていけるんだよと、それとなく伝えていこうと思います。
学級文庫にもおすすめの一冊です。