挨拶
子供たちのあいさつが活発な学校はよい学校というイメージが一般的にあると思います。
「挨拶」という漢字には、相手に心を開くという意味があるそうなので、これが自然にできている子どもたちや先生がいる学校は素敵だなあと思います。
ときに学校では「あいさつ運動」や「あいさつ強化週間」などの指導がトップダウン式で降りてくることもあります。
まあ、多くの大人は経験上「あいさつは大事」ということが分かっているので、子どもたちのために指導すべきであるという思いは分かります。
しかし「あいさつは大事」だから、〇人以上にしよう。相手より先にしようとか…。
子どもたちがあいさつを返すまで、職員が大きな声であいさつをし続ける「あいさつの押し売り」的指導の必要性を訴えた案件も見たことがあります。
これは、なぜ、あいさつが大事なのか、その理由がどこか遠くへ置き去りになっていると感じたことがあります。
また、このようなあいさつ運動が終わってしまうと、あいさつが停滞する。だから、また指導が必要だよねというループになりがち。
(あいさつ運動は勤務時間前の朝に行われることもあり、これはこれで問題だと思うのですが。)
大きな声であいさつを交わそう!目を見てやろう!あいさつするまであいさつし続けよう!理由は後から分かるから!
ではなく、あいさつをすることが、自分に「得」だと腹落ちさせること。
これが、時間がかかるようで、一番、永続性があるように思います。
まあ、私も知人を見かけたら、あいさつは自分からした方がいいと思っているのですが、他者に強要するのは、ちょっと・・・。
子どもたちに「あいさつをすると得だよ、いいことあるよ」ということは伝え、子どもたち自身が分かっていくのを待つ。
そんな感じでいかがなものでしょうか。結局、その行為にメリットを感じたら指導なんかしなくても、したくなるのだから。