「蜘蛛の糸」と集団づくり
修了を控え、書籍やゼミでの対話記録を見返しています。
本日、目に留まったのが「教師が個を救うには」という過去のゼミでの質問です。
Q:教師をしていると、気になる子の存在に注意を奪われてしまう。その子を救うにはどうしたらよいか。
→その子を救いたいという気持ちや情をもつのは自然なことである。しかし、どんな子も生まれながらの業を背負っている。その個ではなく、その集団を救うべき。一人に寄り添おうとして、集団へのパフォーマンスがおざなりになってはいけない。
ところで、芥川の「蜘蛛の糸」では、カンダタが後ろから付いてきた罪人たちに向かって「降りろ!」と叫ぶ場面があります。
一方、罪人たちは「なぜ、あいつが先頭で糸をたどっているのか」「なぜ、俺の所に糸が降りてこなかったのか」「なぜ、俺を救ってくれないのか」
こんな気持ちだったのかもしれません。
もし、この物語に救いがあったとすると、みんなで一本の細い糸を登って、みんなでなんとかして、極楽に辿りつこうとする展開だったのではないかと思います。
カンダタという個も、罪人たちも救うのは、やはり集団そのものをなんとかしていくことかと思います。