自力解決の時間
授業の中に「自力解決」というシーンがあります。
文字通り、自分一人で解決する時間、自分一人で思考を深める時間です。
昨年、大学院の講義で、授業に「自力解決」を取り入れている国は世界の中ではごく少数であることを知りました。
(受験戦争が盛んなアジアに多いようです。そういった国々の受験は個の競争になるからだと思います。)
この「自力解決」の姿が異様と捉えるお国柄の方たちも多いんですよという新聞記事の切り抜きも提示されました。
また、指導案上に自力解決5分とか7分とかスケジュールしますが、秒で解決できる子、5分、7分かかっても解決できない子がいるのですから、この時間の妥当性をどこに見出すか問題も興味深いところです。
【ある授業風景】
先生:じゃあ、この問題に5分あげるから、まずは自分で考えてみてくださいね。
A君:できちゃった。あとの4分50秒は瞑想かな。今日の給食は、zzz…。
B君:うーむ、わからん。A君はできてそうだな。でも、先生が自力で解決しなさいって言ってるしな…。考えているふりをしよう。
Cさん:(2分経過後)なんとなくわかったけど、隣のA君と確かめたいな。あ、寝てる。B君。大丈夫かな?何も書けてないようだけど…。
指導する側は、子供たちの思考の様子をチェックする時間として活用されていることが多いと思いますが、子供たちは、休憩の時間、考えているふりをする時間、葛藤の時間になっているのかもしれません。
一人で考えてもいいし、みんなと考えてもいい。自分で先に進めてもいい、わからなかったら、戻ってもいい。
学ぶ側にも裁量権がほしいところです。