MY TEACHER ACADEMIA ~KUBOのティーチャーアカデミア~

教職大学院修了ホヤホヤの小学校教員21年目。過去から今、そして未来に向けて感じていること、思っていること、学んでいることを徒然なるままに綴るブログです。

「父が娘に伝える経済の話」と金融教育

「父が娘に語る」の言葉だけでも、ぐっとくるのは私だけでしょうか。 

読んでみて、考えたことをメモっておきます。

(1)お金に代えられないものがある。
「お金をあげるから、大事な指輪をさがしてほしいの。」
「えんぴつ貸して。100円やるからさ。」
こんなふうに言われたら、善意の気持ちもどこへやら。
市場の考えや金銭との交換価値の原理主義者になってしまうと、大事なことを見失ってしまうかもしれません。

 

(2)富の価値はお金だけではない。
お金や高価なものだけが富ではないな、と。
高級なお酒や有名店のスイーツをいただくことも、とても嬉しいけれど…。

家庭菜園の野菜や手料理、ちょっとしたお土産、地元の温泉チケットをいただくのだって、やっぱり嬉しい。

まして人の気遣いや親切はお金には代えられない富。

 

(3)格差の正体
支配者が「余剰」を独占し、それでいて被支配者層に反乱を起こさせずに権力を維持することができたのは、「支配者こそが支配する権利を持っている、それが運命」と信じさせてきたから。

これらが回り回って、現代までもつながっている。ときに専制国家であり、宗教であり、経済というように形を変えて。

 

(4)経済を人任せにしない。マンガの「チ。」が想起される…。
確かにお金は生活に不可分です。ないよりはあった方がいいです。
問題の1つに、情報格差によって恩恵を受ける人とそうでない人が生まれることが挙げられると思いました。
本書では、「経済を一握りの者に任せていることは、中世の人が自分の命運を神学者や教会、異端審問官に任せていたことと同じで最悪だ。」とあります。マンガの「チ。」が想起されました。
お金は多くの人の生活に不可分だと思うのであれば、時間がある若い人、子どもたちこそ、情報を知っていくことが必要。そのあたりが、金融教育を学ぶ理由につながってくると感じます。

 

(5)富を「誰と」「どのように」
たとえば、ふるさと納税は、キャンペーンなどをうまく生かせば、ポイント還元などで、実質無料で返礼品がもらえます。
これも知っているか知らないか、もしくは活用している人とつながっているかで、その恩恵を受けられる可能性が変わります。


「パパ、このシャインマスカットうまい!」とか、「いただいた柿、美味しかったわ。やっぱり和歌山よねー」

といったように返礼品という「富」を自分や大事な人とどのように分かち合うか、話題や思い出を共有するかで「富」は、さらに素晴らしいものにできると思います。

大事なことは、生まれた「富」(お金であれ、物品であれ)をどのように生かすかが肝だと思います。

 

金融教育は、経済を人任せにしない素地づくりと、情報がある人とのつながり、得た富を自分や大事な人が人らしく生きていくためにどのように生かすかを感じとっていく学びなのではないかというのが現段階の読後感です。

 

【追記】
研究室でとったアンケートや様々な資料を見ると、私も含めた大人も、お金についての情報は、まだまだ知らないことが沢山ある人が多いように思えます。

学校で子どもたちがお金のことを学びつつ、まだ知らない大人(教員、家族、仲間)に伝えるのは「熟達者による指導ありきの考え方」にも、風を吹かすのではないかと思っています。