問答の意義
本日、上越教育大学の現職院生さんと「問答タイム」についてお話ししました。
おかげさまで、子どもたちと問答をする意味や価値について深めることができました。
「問答タイム」は、始めて4ターンくらいなのですが…、子どもたちが親以外で身近にいる大人の生き方や考え方に触れることで、その人が何を考え、何を大事にしているのか、どんなふうに生きてきたのかを垣間見ることができるのではないかと感じています。
かく言う私も3月まで上越教育大学院に在籍し、指導教官の西川純先生にたくさんのことをお聞きしました。
『学び合い』の授業の質問から、やがては子どもの一生涯の幸せを目指す教育にストイックに生きてきた西川純という人間や生き方についての興味を深め、質問内容も変わっていきました。
他の院生さんも似た感覚だったと思います。教育や生き方に関わる対話が多いのですが、ときに教授に向かって、「パンツの色は何色か」「先生のおススメのBLは何か」といった質問も珍しくない愉快なゼミでした。また、それに答えてくれる西川先生…。
この問答を通して、指導教官とゼミ生の縦糸と横糸が紡がれていったのではないかと思っています。ときに「愚問」「あなた、恥じなさいよ」などと言われましたが、不思議と耳に入ってきます。もちろん、語った言葉に心打たれたことも何度もあります。(いつか紹介したいです)
さて、未熟な私の応答が個々の子どもを納得させられているかどうかは分かりませんが、子どもたちの親くらいの年齢の一教師が等身大を伝えています。子どもの思いに正対し、答えていくことで、どこかのタイミングで、誰かの琴線に触れることもあったらいいなあと思います。
今日は、問答が『学び合い』の授業の「語りとフィードバック」のような役割をしているのでは?といった気づきも得ました。他にも問答に取り組まれている方がどんなふうに考えているのか、何を感じているか・・・。
かなり興味津々です。