鑑賞コメントを鑑賞する
以前、どなたかのエピソードで、小学生の頃、絵(もしくは工作)を「これは悪い見本」と、あろうことか教師に言われてしまったことが、いまだに忘れられないという話を聞いたことがあります。自分が時間をかけて作ったものを貶されることは、子どもの心をぐさりと傷つけるのだと思います。
だから図工の授業では「君らが一生懸命に時間をかけて造っているものは、それだけで価値がある。のびのびやってね。」と伝えています。大人目線のコメントやアドバイスは、不要だと自分を戒めるためにも。
先日、子どもたちの造った作品を評論家になったつもりで、どこが良いのか、どんなことを考えて造ったのか想像してコメントしてみようと鑑賞の時間を設定しました。
その結果、驚きました。出来上がったコメントは、私には絶対に書けないようなコメントばかり。作品の題名まで考えてくれている子がたくさんいました。近くで造っている子を見ているのは、やっぱり子どもたちです。私はコメントを読みながら「いいなあ、すげえなあ」とつぶやいていました。
何て言うんでしょうか。血の通った文というのでしょうか、コメントさえも友達の作品の一部にしてくれているというか…。温もりを感じました。とにかくお互いの作品を全肯定し合っているのがグッドでした。
それにしても、この鑑賞のひとときが、お互いにポジティブな気持ちと共感をもたらしてくれたように思います。