MY TEACHER ACADEMIA ~KUBOのティーチャーアカデミア~

教職大学院修了ホヤホヤの小学校教員21年目。過去から今、そして未来に向けて感じていること、思っていること、学んでいることを徒然なるままに綴るブログです。

最近の見取り(『学び合い』)

『学び合い』中に、子どもの声を聞きにいったり遠くから見たりしてます。

あまりに多くの発見があるので、拾いきれずに、あーあ…となってしまうことがしばしばなので、森保監督みたいにメモって、フィードバックしてます。

 

メモ&フィードバック

・「本当にわかったの?」という声が方々から聞こえてきた。本当にそれでいいのかという相手への関心と期待だよね。

・いろんな所に行って関わろうとしている子がいる。広いつながりを作ろうとする姿勢は、やがて自分の身を助ける種を蒔いているのと同じ。こういうの先行投資って言うよ。

・一人も見捨てないって言うけどさ、この一人は「自分」に置き換えられる。自分が損しないために、ていうか自分が得するために動くのだから、長く続けられる。それが分かってるってさすが。

・次の時間の勉強している人がいる。これは、明日、明後日の全員達成に貢献していることと同じ。明日、たくさんの人の力になるはず。先々を見ているなあ。

・黒板の前に来て、全体を鳥の目で見ている人がいる。先生以上の役割をしているよ。すごいなあ。

 

これは、ある時間のフィードバック。子どもたちを追えば、沢山のお宝が発掘されます。

 

付かず離れず。メモって、整理して、伝えて。

鑑賞コメントを鑑賞する

以前、どなたかのエピソードで、小学生の頃、絵(もしくは工作)を「これは悪い見本」と、あろうことか教師に言われてしまったことが、いまだに忘れられないという話を聞いたことがあります。自分が時間をかけて作ったものを貶されることは、子どもの心をぐさりと傷つけるのだと思います。

 

だから図工の授業では「君らが一生懸命に時間をかけて造っているものは、それだけで価値がある。のびのびやってね。」と伝えています。大人目線のコメントやアドバイスは、不要だと自分を戒めるためにも。

 

先日、子どもたちの造った作品を評論家になったつもりで、どこが良いのか、どんなことを考えて造ったのか想像してコメントしてみようと鑑賞の時間を設定しました。

その結果、驚きました。出来上がったコメントは、私には絶対に書けないようなコメントばかり。作品の題名まで考えてくれている子がたくさんいました。近くで造っている子を見ているのは、やっぱり子どもたちです。私はコメントを読みながら「いいなあ、すげえなあ」とつぶやいていました。

 

何て言うんでしょうか。血の通った文というのでしょうか、コメントさえも友達の作品の一部にしてくれているというか…。温もりを感じました。とにかくお互いの作品を全肯定し合っているのがグッドでした。

 

それにしても、この鑑賞のひとときが、お互いにポジティブな気持ちと共感をもたらしてくれたように思います。

 

敬老の日、家族と

久しぶりに同じ市内に住む両親と外で会食しました。前回の家族での会食はコロナ前で、スマホにさえ写真が残っていません。本当に久しぶりでした。

お酒は嫌いではない父ですが、高齢になったからか控えめに生ビール1杯だけを楽しんでました。何年ぶりかの外での会食は、心地よく貴重な時間でした。

 

話題はお互いの健康のことに。うちの両親は健康マニアです。父は、最近、週3回のインターバルトレーニングに取り組んでいるようです。かなりキツいみたいですが、意識の高さに息子も刺激を受けました。

 

会計時に宮下青森県知事のサインを見つけました。「青森新時代」と記されていました。健康と家族の幸せを第一に、私も「新時代」に向かって少しずつでも前進していきたいものだと、こちらにも刺激を受けました。

近くにいるのに甘えずに、両親や親族ともコロナ禍の空白を埋めていきたいものです。

再び鍵盤の前に

4歳から約10年間、ピアノを習っていました。当時、男の子がピアノを習うことは稀で、時折違和感を感じながら。しかし、中学校の部活動が忙しくなり、あっさりとピアノを離れました。それでも、10年間続けた理由は、それなりに楽しかったからだと思います。

 

年月が経ち、再びピアノの魅力に引き寄せられました。もろに木村拓哉ロンバケの影響です。学生時代にはバイト先のホテルのラウンジで演奏したこともあります。あまりの緊張と練習量の多さにすぐにやめました。やがて小学校教員としての日々が始まり、ピアノが弾けるというアドバンテージは感じながらもプライベートでは、ほぼピアノに触れることはありません。

 

今日は年に一度の特別な日。娘と息子がピアノの発表会に出演しました。すでに私のレベルは超えているし、何より楽しんで演奏する姿がいいですね。ポジティブな気持ちにしてくれます。それで、毎年、この発表会のタイミングで「もう一度ピアノを弾いてみようかな」と思うのですが、なかなか実行に移せていませんでした。

 

かねてから卒業シーズンに、思い出の曲「銀河鉄道999」を演奏したいと思っているのです。あのメロディラインと歌詞には、別れと新たな旅の始まり、そしてワクワク感が溢れています。そして再び音楽に身を委ねることが、私にとっての新たな旅の始まり…。

 

ちょっと格好つけてますが、このくらい書かないと多分やらない。(とりあえず楽譜はネットで入手しました。一歩前進です)

生成AIで劇の台本

先日、小学校低学年の担任をしている妻の依頼で劇の台本を作ってみました。(生成AIで)

原作は、あまんきみこさんの「きつねのおきゃくさま」です。

 

使い込んでいる方からすると、遅れてしまっている感は否めませんが…。

 

ヒヨコ:(気づかないで)ぴよぴよぴよぴよ…おなかすいたなあ…どこかに食べ物はないかなあ…

キツネ:(声をかける)やあ、こんにちは。君は一人でどこに行くの?

ちゃんと台本の形になっています!感動。

 

物語のクライマックス。キツネとオオカミとの対決場面…。キツネが格好いいんだよなあ、あの場面は…。

どうなるんだろう?と、わくわくしながら読み進めました。

 

が、朝、起きたら、キツネのベッドにオオカミがいました。

この設定は、ちょっとどうなのよ?

(いただけなかったので、修正をお願いしました)

 

しかし、修正時間も含め、ものの数分でこれは…。

あとは、実際に演じる子どもの思いや国語の授業での様子を加味しながら、妻と子どもたちが、仕上げてくれたら。

たたき台としては、充分すぎるなあ。ほとんど何もしていませんが、妻には感謝されたので、よしとします。

教師不在でも学び合う子たち

先週の金曜日、私はある事情で授業に15分くらい遅れてしまいました。

算数の時間でしたが、「ごめんごめん」と教室に入ると、子どもたちは自分たちで学び合っていました。教室のあちこちにグループを作って、問題を解いたり、説明したり、質問したりしていました。私は一言、「お!すごい!」と言いました。驚きもありましたが、そりゃあ、できないわけはないか!とも思えました。

 

教師がいなくても、授業が始まるということ、子どもたちは自分たちで学びの主体になれることを、この日、この時間に再認識しました。

 

もちろん、いつも全員が学び合うわけでもありませんし、日々、気になる子や気になる行動は見えています。最近、あまり使わなくなっていた「一人も見捨てない」という言葉についても考えています。授業場面では、以下のように考えています。

 


相手やクラスメートの「教えた…ふり」「わかった…ふり」「俺は1人で学びたい…ふり」の「ふり」まで興味をもつ。(他者の考えや感じ方や背景に興味をもつエンパシーに似ている?)そうすることで自分もその集団にいることによって助けられるサイクルが生まれ、結果的に自分を含めた「一人も見捨てない」ことになる。

 


とはいえ、これは個人の考えなので、目の前の子どもたちなりの「一人も見捨てない」とはどういうことなのか見つけていけばいいのだろうと思います。

あと半年したら、私は子どもたちと共にいません。不在です。
だからこそ共に授業を超えた「一人も見捨てない」の意味を問い、考えていきたいと思います。

通知表の進化と自己評価

通知表作成のシーズンがやってきました。

息子の学校からは、今年度から通知表のスタイルが変わったというお知らせが来ました。子ども自身が行動や学習について自己評価する欄が設けられ、学校からのコメントは年度末だけになったそうです。

 

これは、学んだことやできるようになったことは、本人が一番、分かっているという自己評価の視点と学校からの客観的評価の視点の一体化。そして今までの既存の通知表スタイルからの脱却をソフトランディングさせた着地点なのではないかなと考えました。

 

確かに通知表の評価コメント(意外と短く、半年を集約できないのは私だけだろうか)に絞れば、本人による自己評価だけ、担任からの評価だけでもなく、両者からの評価は妥当性や客観性が高まる可能性はありそうです。

しかし、日頃、共に学んでいる複数の仲間からのフィードバック、教師とのやり取りが、その子の目指したい目標設定や人間形成に、はるかに影響を与えていると思います。だからこそ、通知表は、これからもさまざまな角度から子どもたちを見つめるツールとして進化していくべきだと思います。究極の進化形態として、通知表(紙媒体)の必要性は「ない」という未来もあるのかもしれません。

 

今のところ、私自身はGoogle Formsで、子ども達に前期の振り返りをしてもらいました。集まった子ども達のコメントは、半年間、関わってきた自分自身へのリフレクションに活用させてもらおうと思います。じっくり読んでみようと思います。